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東京高等裁判所 昭和39年(う)1188号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮六月に処する。

被告人の本件控訴を棄却する。

原審訴訟費用は被告人に負担させない。

理由

<前略>

検察官の控訴趣意は、原判決は本件公訴事実中被告人が原判示第三及び第四の各事故後直ちに車両の運転を停止して道路交通法第七二条第一項前段に定められた必要措置を講じなかつた旨の各訴因に対し、被告人が右の各事故後運転を停止しなかつたことは証拠により明らかであるけれども、右の各事故の場合には人の死傷が存せず、また車両の損傷はあつたがそのために運転不能を来すことなく、道路上の通行に危険を生じた事跡も認められない。従つて、この場合被告人としては負傷者を救護しまたは道路における危険を防止すべき措置としてとるべきものは何も存しなかつたのであるから、これらの義務違反はなかつたと謂わなければならない。また、同条は交通事故があつたとき、負傷者や物の損壊の有無を確認するため停止すべきことを義務づけたものとも解し難いとし、結局、本件は犯罪の証明がないとの理由で無罪の言渡しをしたものであるが、右は法令の解釈適用を誤つた違法があると主張する。

よつて所論に基き審接するに、道路交通法第七二条第一項前段は「車両等の交通による人の死傷又は物の損壊があつたときは当該車両等の運転者その他の乗務員は、直ちに車両等の運転を停止して、負傷者を救護し、道路における危険を防止する等必要な措置を講じなければならない。」と規定し、交通事故の発生した場合、運転者に対し被害者の救護及び道路における危険防止のため応急措置を講ずべきことを定めている。ところで、車両の交通によつて人の死傷又は物の損壊を生じた場合、単に運転中の車両内から望見したのみでは被害者の要否、及び道路における危険防止措置の要否を確認することは困難であり、一旦停車して仔細にこれを調査しなければその要否の判明しない場合が極めて多いことに鑑みると、同条は車両の交通による人の死傷又は物の損壊があつた場合、被害者の救護並に道路における危険防止の前提として、運転者に対し必ず一旦停止して負傷者の救護の要否、或は道路における危険の有無を確認すべき義務を負わせたものと解するのが相当である。それは、道路交通法第七二条第一項前残に相当する旧道路交通取締法施行令第六七条が「車馬等の交通に因り人の殺傷又は物の損壊があつた場合においては、当該車馬等の操縦者等は直ちに被害者の救護又は道路における危険防止、その他交通の安全を図るため必要な措置を講じなければならない。」と規定していたのに対し、新法が「運転者等は、直ちに車両等の運転を停止して」との字句を挿入した立法の趣旨からしても推論し得るところであるのみならず、文理上からも、人の死傷又は物の損壊があつた場合には運転者は直ちに運転を停止すべく、然る後負傷者が救護を要することが判明した場合にはその措置を、人の死傷或は物の損壊により道路における危険発生の恐れのある場合にはその防止措置を講ずべき二重の義務を課したものと解することができる。そこで本件についてこれをみるに、川見輝彦、小川恵司運転の各自動車は被告人の自動車と接触の結果、いずれも修理を要する損傷を生じたことが明らかであるから、被告人は直ちに停車して道路における危険防止の必要の有無を確認すべき義務があつたものと謂うべく、仮りに本件の場合、道路における危険防止措置の必要がなかつたからといつて停車確認の義務を否定することはできない、それ故右法条に関しこれと異る解釈の下に、人の死傷がなく、又道路における危険が認められない本件にあつては、被告人には同条による義務違反は存しないとする原判決は法律の解釈適用を誤つた違法があると謂わざるを得ない。この点において論旨は理由があり原判決は破棄を免かれない。<以下省略>(裁判長裁判官渡辺好人 目黒太郎 深谷直也)

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